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易経・易占を学ぶにあたって

易経に学ぶ澤水困

東京大空襲 易経に学ぶ澤水困

 私が住んでいる中野区の上空は、数年前から旅客機が飛ぶルートになってしまい、夕方の時間帯はラッシュで、ゴーゴーと轟音を立てて何機も続きます。だいぶ慣れましたが、初めのうちは、見上げながら駅前の高層マンションにぶつかるんじゃないかとあせったものです。空襲のときは、こんなものではなかったんだろうと思いつつ、来る3月10日は東京下町大空襲の日です。住宅が密集した下町を狙う、爆撃機B29。山の手大空襲などと合わせると約9万5千人という膨大な数の死者が出ました。

 この空襲で、近所の早稲田通りあたりも焼失したと聞きました。実際に空襲を経験された方のお話が地域の資料〔東中野今昔ものがたり〕に掲載されておりました。

「柏木地区(北新宿)は、すでに火の手が上がり、見る間に我が家の方も燃え始めました。上落合の方も真っ赤で、もう逃げる場所はないと、○○さんのお屋敷に逃げ込みました。完全に周囲いったいは火の海でした・・」

 と、何十年立った後でも、鮮明に記憶されているようです。早稲田通り沿いの落合に、昔は、〔公楽キネマ〕という映画館があったそうで、坂東妻三郎や嵐寛寿郎などが人気をはくし、市民の最大の娯楽だったのですが、こちらも山の手大空襲で焼けてしまったそうです。
  思わず叫びたくなる戦禍は、周易で表すならば四難卦の☱☵澤水困でしょうか。
彖辞には「困は亨る。貞し。大人は吉にして咎なし」とありますが、困苦真っ只中の時は、絶望的な気持ちになり、前向きになれそうもありません。過去の記述のなかに、加藤大岳先生も空襲を振り返っておられる部分がありました。

「焼失して10日くらい経った頃であろうか、戦禍で丸焼けになった自分の家の焼跡にいってみると、我が家の菜園のえんどう豆が新しい芽を吹いていた(略)たくましい生命力に対する感動であった。荒廃虚脱の状態にあった私たち日本人が、やがては生き返ったように、自分を取り戻して立ち上がってゆくに違いないことを告げる天の啓示のように思われたのである」と書かれてありました。
東京の街巷が焦土と化した空襲の後でも、ちいさな命を発見されて、このように思えるなんて、素晴らしいと思いました。
 次は、私の知人の父上から聞いた話です。どういう訳か戦争の話になり、「空襲の時は、一家で逃げた、右へいくか左へ行くかで、逆に行った人たちは、皆死んだ。あの当時は、死にもの狂いだった」お父上が機転を利かせて風上に逃げたので、助かったという、のんきな私には、想像もつかない話です。
父上はにこやかに話されましたが、感じ入った私は、気が付くと涙ぐんでいました。知人はこの話を何度も何度も聞かされたそうです。
いざ、生きるか死ぬか。まさに究極の選択。それも瞬時に判断するなど、ままならないものです。

  二択で迷い大きな差があります。宇澤周峰先生の『易占入門』『絵で学ぶ易占』の巻頭に次の文があります。
「人生を歩む中でどちらを選ぶかという選択肢の事柄に直面することがありますが、これも自分の予測判断で決めていますが、その判断で幸福を得たり、逆に不幸をまねくことになったりします」
確かにそうです。あらためて読み返しますと、真水のようにすっきりと平明です。今まで、ずっと私の易占の原点となっていますが、空襲の話の後は特に、この言葉が胸にしみます。
 易に尋ねることが、当たり前になってしまいましたが、究極の選択に迫られたときに、易を立てると、ざわついた心も落ち着き、考えも整理されますね。目からうろこです。
 さて、令和の今、東京の街の景色も、時代も、人のこころも、何もかもが早足で移ろいで行くなかで、ちょっと立ち止まって、今振り返ると、あれが人生の分岐点だったということは、皆さんにもあると思います。(磯部周弦)

日本易学振興協会では、宇澤周峰先生が東京などで易経とともに、本格的な筮竹を使った周易・易占教室を開催しています。主に、三変筮法、六変筮法を中心にした易占法です。詳細はこちらからどうぞ

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