久しぶりに浅草の町へ出掛けました。海外からの旅行者も多く、仲見世通りは、人でごったがえしています。その喧騒のなか、浅草寺本堂へ向かうと、心が震えました。
初めて易占鑑定の仕事をしたのが、ここだったのです。
今から、16年前くらいになりますか。諸学兄姉には記憶されていると思いますが、新しい会員の方のために少し説明いたしますと、平成20年に浅草観光連盟が、浅草寺本堂の復興50周年を記念して、〔浅草大観光祭〕と題して、亡きの中村勘三郎さんの歌舞伎小屋・平成中村座など様々なイベントが浅草寺本堂周辺で開催されました。
そんななか、境内西側では、江戸町・浅草奥山風景という見世物小屋が並んだ江戸時代の町並みを再現し、江戸風情を楽しめる一角に、宇澤周峰先生が鑑定所を設けてくださり、10月・11月の約2ヵ月弱、我が協会も2ブース出店することになったのです。
仲見世を通って、観音様本堂左側の一角です。当時の経験は、今も褪せることなく残っています。週末は怒涛のように多くの人が来られました。私は、せめて出で立ちだけは、着物を装いましたが、初めてのお客様には、緊張で手が震えてしまい、筮竹の太極を一本立てたかどうかも覚えていません。笑い話です。
筮竹を使っての易占いは、ただただ必死。
気取られぬよう、顔を紅潮させて笑ってみても、鑑定の言葉につまってしまい、時間内に終れず、長すぎると胴元に言われ、落ち込んだ記憶もあります。相談者に飲まれないよう、占的を念じて筮竹をしっかり捌けるように、ただ、ただ必死でした。
しかし、筮竹を使って易占をしている。それだけで、夢がずっと近づいた気がしました。そして、鑑定を終え、笑顔で帰られるお客様を見送ると、この上ない幸せを感じました。
隣の熟練先輩占い師のブースには行列ができて、自分のブースには誰もいないこともありました。しかし、間違えなく人生が変わったと思える。そんな瞬間でした。夜ようやく一日が終ると、全身から力が抜けていった。
今日の鑑定内容に間違えはなかったか。卦読みは正しかったか。教室で勉強してきたからと、ついさっきまで感じていた優越感は、瞬く間に消えていました。
これではいけない、もっと勉強しないと。そればかり考えていました。
もう一方で、易占いに興味がある人、易学で繋がっている人達は皆とってもあたたかい。そう自分に言い聞かせて、ますます励もうと誓いました。
あの頃の気持ちを思い返し、ここに座って、ほっと胸を撫でおろしました。ここ浅草の町には、感謝の気持ちでいっぱいです。
「学ぶ」の元の意味は、「まねぶ」だったと良く言われますが、実践(実占とも)の中で、つくづく先生や先輩から真似る、まねぶ、学ぶの意味を思いました。私なりの素敵な易者を目指して、日々精進です。
今回は、私のほろ苦い、思い出話を聞いてくださり、ありがとうございました。(磯部周弦)
日本易学振興協会では、宇澤周峰先生が東京などで易経とともに、本格的な50本の筮竹を使った周易・易占教室を開催しています。主に、三変筮法、六変筮法を中心にした易占法です。詳細はこちらからどうぞ。