易を嗜む者として、易経をより身近に感じて頂けるように、毎回易経の言葉を掲載しております。易経には、味わい深く、魅力的な語句がたくさんありますが、本卦から十翼の広い範囲で、特にこれは!という一節を選んで取り上げます。
〔天地有りて、然る後に万物生ず〕この言葉は、易経・序卦伝の上巻冒頭に載っています。
ここは、天地創造の場面と考えられます。地球は創造主、神によって創られたのか、自然に創られたのでしょうか。そして、人間はその大自然を畏怖し神とし、人格をつけていったのだと思われます。
古代文明から、科学が進んで四千年経った今も、天地創造は分からないままですが、私たち人類は考え続けています。地球の誕生・生命の誕生の謎は、永遠の課題です。
いつも筮竹を執っての易占では、恋愛・結婚相談、失せ物、会社の業績など生活にかなり近しい問題を尋ねていますが、元来、易経は、宇宙論が書かれていますから、桁違いに大きいと感じられます。
そして、序卦伝の上巻のはじまりと、下巻のはじまりが対になっているところが興味深いところです。
序卦伝下巻の☱☶澤山咸の部分では、「天地有りて、然る後に万物有り。万物有りて、然る後に男女有り」と続きます。
男女の世界、つまりは人間界が作られていきます。訓読文は、次の通りです。
天地有りて、然る後に万物生ず。天地の間に盈つる者は、唯万物なり。故に之を受くるに屯を以てす。
下経では、
天地有りて、然る後に万物有り。万物有りて、然る後に男女有り。男女有りて、然る後に夫婦有り。夫婦有りて、然る後に父子有り。父子有りて、然る後に君臣有り。君臣有りて、然る後に上下有り。上下有りて、然る後に礼儀錯く所有り
愛知県で堆肥づくりをしている友人の話では、「農作物を育てるときは、事務仕事とは違い、大自然の中での作業。自然にはウソは通じない」とのこと。
ある種の悟りがあるようです。確かに、土を耕し、苗を植え、雑草を抜き、肥料をやる。このような一連の農事で自然に背くものはなく、いや応なしに天地自然の理に従うものだそうです。
また、ある年配の大工さんのお話ですが、本当の大工さんは大黒柱の木材を逆さまに使わないそうです。材木の見分け方もありますが、なによりも天地の法則に逆らうことを忌み嫌うと言っていました。木が本来生えていた方向と上下逆にして柱を立てることを逆柱(さかばしら)といって、夜中になると家鳴りがあったり、家運が衰退し、火災や不吉な出来事を引き起こすといった、不吉があるとして嫌います。俗信・迷信かも知れませんが…。
一方で、日光の陽明門にみられるように、建物が完全・完成になりすぎるのを恐れて、柱の数本だけをあえて、上下逆にしておく、なんてこともあるそうです。
このことは、易経にあるような盈虚の理、「満つれば欠ける」を考えて、徳川家としては陽明門は未だ完成されていないから、衰退しないということを表したかったのではないか、と伝えられています。
なぜ、リーダーは古典を読むのでしょうか。
ところで、社長やリーダーの間で『論語』『孫子』『老子』等、中国古典が読まれ続けています。この令和の時代でも書店へ行くとコーナーが出来ています。なぜ、リーダーは古典を読むのでしょうか。
それは、易経をはじめとして古典には人の真理、自然界の真理が書かれているからだと思います。
古代人の叡智が宿っています。易経は、うわべだけのハウツー本、ノウハウ本じゃなく、人間学、宇宙論がつまっています。
いつも宇澤周峰先生が「易経は、噛めば噛むほど味が出てくるもの」と仰る意味がようやく、少しずつ分かってきた気がします。文明が進んだ今、科学が発展し、大自然の法則を無視してしまいがちです。また、人間は万物の霊長という奢り・慢心があると気付かなくなってしまいそうです。
さて次に、生命の誕生についてです。
加藤大岳先生は、「なぜこの世に男女がいるのでしょう」。と問題提起されています。
ミミズを例に出されて、わざわざ男女雄牝と分けなくても、植物や無脊椎動物、海草などの生物もいます。細胞分裂やクローンでもいいし、ミミズのように雌雄一緒の生き物にしたっていい。しかしなぜ、男女に分けたのか。雌雄一緒なら、男女問題など占う必要もなくいいのではないか。と。
最後の部分は、御冗談でしょうが…。このようなお話をされています。
地球誕生や人間の神秘を想像することで、なにか宇宙・自然と自分がつながっていることに気付くと、原始感覚がよみがえり、その源や、生命誕生の神秘を掴むことができるかもしれません。
東洋に限らず、世界中の伝説や神話には、雌雄同体の神が登場するのも不思議です。易占でも本卦、八卦からさかのぼり、四象、陰陽、太極まで源流へ戻ると、何か根源に通じるのかなと思います。
人間の大きさは、地球の直径の約1000万分の1です。地球から見ても、小さな小さな存在の人間が、大きな宇宙を考える。一個人として、生きる必要性や役目を見出すために、自然界の法則を考える。大をつけて、〔大自然〕と言ったほうが、良いのかもしれません。どんなに文明が進み、世の中が複雑になっても、人間は、大自然の一部として生きているはずです。この大自然の法則を、易経を通じて知ることができる一文です。
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