loader image

易経・易占を学ぶにあたって

陰と陽について

陰と陽について

「陰と陽」については、易占を勉強しようとされている方は、当然よくご存知のことと思いますが、
易占の構成要素の最小単位であり、源であるので、基本は何度聞いても毒にも害にもならないと思います。すでに易占、易経の勉強をはじめている方にとっては逆に、基本科に入門された新鮮な気持ちに戻って読んでいただければと思います。

易経のなかの「繋辞伝(けいじでん)」を学ぶと、周易六十四卦の教えとは、少し違っておりまして、易学のとらえ方、考え方の根本にふれています。何か自分がひと回り大きくなるような思想的な勉強です。

この「繋辞伝」の最初の言葉として、『天は尊(たか)く地は卑(ひく)くして、乾坤定まる』という言葉から始まります。これは、人間が生活しているこの世の中は、上下の世界で出来ています。つまり上には、高く天が覆っていて、下には低い地があって、物や私たちを載せているということです。その高・低があってバランスが取れているのが、自然そのものです。

天と地の二元的なあり方に準じて「乾・坤」という六十四卦の基本であります「陰陽」の二卦が生まれたということです。

さて、この「」という字ですが、「人」が手を広げた形で「大」となり、その「大」の上に「一」を画したものが「天」なのです。これは、人間の上の方、もっと高いところを表してそれで、「天」というのです。

次に、「」の方は、「土」と「也」で文字通り「地」であります。

「天」は「乾」であり「陽」であり、「太陽」を表します。
「地」は「坤」であり「陰」であり、「月」を表します。

天は太陽の光で輝いているので「陽」。地は光らないので、暗いことから「陰」というわけです。

ところで、「太陽」の名前ですが、アメリカでは「サン」、中国では「タイヤン」韓国は「テーヤン」と言うそうです。日本では「太陽」としたわけですが、本来ならば太陽は大きい陽なので「大陽」と書くべきですが、「太」の字の意味を漢字字典(漢字源)で調べてみますと、

1、豊かに大きい。たっぷりとふくれている。・・・太鼓・太山・太陽・太平=泰平
2、はなはだ~。・・・太古
3、第一番。はじめ。・・・太極・太子・太初・太祖
4、年長者、目上、尊い者に添える語。・・・太公・太后・太閤

と記載されていました。確かに太陽は、たっぷりとふくれていますから、「大きい」よりも「太い」の方が意味が分かりますね。

次に、『天は尊く地は卑くして、乾坤定まる』の「尊く」ですが、これは「尊い」(たっとい)です。天にある「太陽」は地球上のあらゆるものに、光を施すというか、わけへだてなく、生きる恵みをもたらしています。

それで、「尊い」ということです。「尊敬」の尊で大昔から、世界のどの文明でも太陽を神として崇拝していました。

次に「卑く」の方は、「いやしい」という意味であり、地上の生き物は、人間をはじめ動物、植物などは、みな、太陽の光を皆ほしがります。それで、いやしいということになります。

この天地、陰陽の考え方から、二元、対語の言葉がでてきます。

(陽)日、天、男、明、剛、強、貴、富、動、進、上、大、気、奇数、主、積極

(陰)月、地、女、暗、柔、弱、卑、貧、静、退、下、小、形、偶数、従、消極

このように、天と地、陰と陽の考え方が当てはめるとはっきりと分かります。

宇澤周峰先生著『易占入門』より抜粋。

生活の中にも取り入れられる、陰陽の考え。

そして生活のなかにも取り入れられて、古来より奇数の日を尊びました。

1月1日、3月3日(桃の節句)、5月5日(端午の節句)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽の節句)と奇数=陽=尊んだのでしょう。

また、ちなみに新幹線の「のぞみ○号」という号数は、東京発の下り列車が奇数で、新大阪発の上り列車が偶数の番号になっています。東京が主で、名古屋が従という考えが採用されたのでしょう。

陰陽は、二元的な対極、対立でありながら、引き寄せあう、まじりあう男女の世界でもあります。

剛(陽)・・積極性・・・男

柔(陰)・・受容性・・・女

続いて、易経・繋辞伝に『一陰一陽之を道と謂(い)う』

とあります。一陰とは「女の道」ということで女は女らしく生きる。

一陽とは「男の道」、男は男らしく生きる。という感じです。

ところが、この『一陰一陽之を道と謂う』というのは、この世の中、陰と陽の二つの気(二気)が交互にやってくるものです。

たとえば、「人生山あり谷あり」という言葉がありますが、運気が昇り調子の時もあれば、運気が下り坂の時もあるのだ。ということです。

これに基づいて、勢い(占いでは運勢)が強い時に、はじめたり、進めば、伸びる、それで「吉」という。

でも、勢いが弱い時は、止めたり、休むこと。そうすると、失敗しないで済むのです。時がきたらまた進めばいいのです。

これは、自然界の於いて「木」に例えられます。

「木」は春から夏に向かって枝葉を伸ばして一気に成長しますが、秋から冬にかけては、成長を休みます。そして再びくる春から成長し、そうして年輪を重ねてやがて「大木」となるのです。

春夏が陽、秋冬が陰。この自然の摂理の中に、人の生きる道をもとめたものが、易だと確信します。だから、易はあざやかに答えを示してくれ、なおかつ核心をついているのです。

このように「木」はコツコツと伸びて「大木」となるのですが、「人」は一足飛びに成功を求めたり、実力をつけないで始めて、失敗したり、運気をとらえないで始めて、失敗。つまり大木にならないで終わる人が多いものです。

本当は、この植物の原理に基づいて、ため息をつきたくなる逆境こそ、人は姿勢を問われます。苦しい冬に、耐えて時運を待って、乗り越えてこそ、人間は大きくなります。そして成功をおさめることができるのです。

しかし、人間は欲があるものですから、毎月、毎年伸びようとするのです。

人はもともと卑しい地についているものであります。天と地は欲がありませんが、人間には欲があります。少しでも天に近づきたいという欲があるものですから、その欲で問題や悩みが生じるのです。

でも、これがいけません。失敗の元なのです。休むときは、休んだ方がいいのです。

自分の運気が登り坂なのか、下り坂なのかは、易によって知るしかありません。

毎月の運勢や毎年の運勢を立筮して、知ることができます。それで、運気が強い時には、進む、何かをはじめる。運気が弱い時には、休む、止める、勉強する。という行動をとる。

たいがい、運気が強い時に考えたことは、大変いい考えであることが多く、これをやれば成功します。逆に、運気が弱い時に考えたことは、だいたい良くない考えで、やれば失敗します。

『人生はギャンブルだ』。という人がいますが、これは、易を知らない人が言うセリフなのです。

さらに、この『一陰一陽之を道と謂うというのは、『ひとたびは陰となり、ひとたびは陽になる』とも解釈できます。これは、易の教えの『極まれば変ず』の思想からきております。陽が極まれば陰に変じ、陰が極まれば陽に変ずるということです。

ここにもひとつの「道」というようなものを感じるわけで、時に強気な男でも急に弱気(柔)になったり、いつも弱気な女でも人が変わったように強気(剛)になるときもある。という、変化ある生き方、あり方が必要であります。

たとえば、男性も何か失敗したり、うまく行かなくなると、落ち込んだり、うなだれたり、立ち直れなくなります。また、女性もやさしい言葉でしゃべっていても、子供に対してしつけのために、きつい言葉で叱ったり、気になることが起きたら、すさまじい剣幕で怒ったりします。

この陰と陽は不思議なものです。

「陰と陽について」書きましたが、まだまだ話がつきませんので、このくらいで終わらせていただきます。

日本易学振興協会では、宇澤周峰先生が東京などで易経とともに、本格的な筮竹を使った周易・易占教室を開催しています。主に、三変筮法、六変筮法を中心にした易占法です。詳細はこちらからどうぞ

陰陽の定位について

関連記事

  1. 易経山澤損
  2. 易経十翼序卦伝
  3. 易経十翼雑卦伝
  4. 易経風火家人
  5. 易経地火明夷
  6. 易占、易経における八卦、艮
PAGE TOP